首藤教之さんは1932年福岡県福岡市出身で、第二次世界大戦末期の1945年6月に福岡空襲で被災しています。
1954年に上京し、58年頃から岡本太郎・安部公房・武満徹らの「現代美術の会」の講義に通い、前衛芸術グループ「火の会」を結成、そこから芸術活動を続けていました。
その頃のデモや社会活動に参加していた経験が作品に現れていることを知り、世代は離れてはいましたが、惹かれるものがありました。
首藤さんの描いた可愛い飛行機の絵をみて、直感的に結びついたのがクレーの「天使」です。ですが、彼が実際に描いていたのは、福岡空襲時にあらゆる場所を焼き尽くした焼夷弾を投下したB29ではなく、日本の誤射によって自宅の落ちてきた高射砲弾から連想される飛行物体でした。彼は著書「伝言ノート」の中で、戦中の日本政府の国営放送、大本営発表の人を欺く言葉の表現に言及しています。
守備隊の悲惨な全滅を「玉砕」という情緒的な言葉でニュースが言った時、子どもにもそれは奇妙に感じられた。この戦争は近代的な科学戦と一方では言いつつ、こんな表現は作為的に思えた。さらに言葉にこだわって思い出してみよう。空襲の際の退避壕を「待避壕」と言ったりした。「学童疎開」と言うのも深刻な大規模な非難の政策なのにそうゆうニュアンスは避けられている。戦後も「敗戦」「降伏」は極力使用されず、「終戦」と言った。
基本的にどんな国の、どんな権力者の、どんな発言に対しても疑いの目を向けなければならない。とは思ってはいますが、今も繰り返しテレビやニュースで使われる、政府の遠回しな表現(思い出したら更新して書き足しておきます。)は一度、聞き慣れてしまうと引っ掛かりを感じなくなります。
それがメディアの恐ろしさであることを、首藤さんの文章は思い出させてくれました。
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