お便りを出して3週間が経ち、もしかしたら返ってこないかもしれない…。と、不安になりかけた4月17日、家のポストを開けると首藤さんからの手紙が届けられていました。
モーツァルトの切手が貼られた封筒に、丁寧な青文字による便箋が3枚入っていました。
(お便りは私と首藤さんの密やかな交流の形跡ではありますが、個人情報に触れないように、載せておきます。)
お便りをどうもありがとうございました。
お返事を早く書こうと思いつつ、何と何を書こうかと考えたり、ちょうどコロナのことで何か落ち着かない雰囲気の中でついおそくなりました。
「伝言ノート」を読んでくださっているとのこと、ありがとう。
あれはかなり長めの期間のものを集めて押し込んだようなところがあり、更に美術・芸術について、これは幅の広く奥行機の深くなかなか難しいことなのですが、それについて「考え」というには未成熟なひらめきのようなものを書き連ねたものも含んでいて、読みにくいところがいくつもあったのでは、と思います。
気の向いたところから見ていただければいいと思います。
まだ一度しかお会いしたことがないのに、このような問題についてあれこれお話しできるということは滅多にないことで、とても嬉しいです。
「青いトマト」は、ずいぶん前に書いたものですがないような生々しく記憶におることで、それをそのまま書いてあります。妹というのは今では80台(!)のオバアサンで、※※に息子と住んでいます。
「戦争体験を語るつどい」というようなところで、少年時代のことを話したことは幾度かあります。会の企画によって、15分だったり30分だったり60分だったりするのですが、話し出すと言いたいことは山ほどあって困ります。しかし、もうあとの無い世代的責任というようなものはひしひし感じていて、機会があればどこへでもと思っています。
「どこへでも」といえば、今はどこへも行けない時になっていて、不安であり、困惑することでもあります-、一体どうなるのでしょう。(コロナ)
SNSは何かやっていますが、毎日何かをというほどの熱心なユーザーでなく、ときどき、という感じです。コロナの世の中のことは最近2度書きました。
少し世の中の様子を見つつ、しばらくしてからぜひお話の機会をつくっていただければと思います。4月に、六本木の国立美術館でやる「日本アンデパンダン展」に出品してそれにお誘いしようと思っていたのですが、突然中止になってしまいました。こんなのは数十年来(出品してます)はじめてです。葉山芸術祭も中止になりました。
そんなわけで、今は予定は確定のものは無しという珍しい事態となっているのです。
3月には「肺炎」という診断を受けましたが、発見が早かったためか2週間ほどで治ってしまいました。歳をとると古い車と同じであちこち故障が多く、気分は落ち込みがちですが、それに負けないでと毎日何か制作はやっています。
「天使」には関心があります。何故かというのが難しいのですが、僕の作品には今世紀に入ってからシンボリックな「カミサマ」のようなものがよく出て来るのですが、言葉ではなかなか「これはこういう意味だ」と言いにくいのが現実です。あえていえば、この人間社会の批判者、忠告をする人、ちょっとからかう人(人でなくカミサマですが)として登場しているということでしょうか。僕はいわゆる宗教の人では全くないのですが、我々とか宇宙とかをつくった何ものかがいるらしいことは想像するのです。そして「天使」のイメージもそこへの出演者として、いるわけです。
天使についてもお話聞かせて下さい。
ではお大事に!
Comments